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うちの祖父

 投稿者:布哇の住人  投稿日:2018年 6月25日(月)13時47分37秒
編集済
  喜十郎という名ですが
四国時代の戸籍の名前が善十郎になってて

     これはタイプ時のミス

それで戸籍係に  「うちの祖父は善人じゃなくて喜び多い人でしたよ」  と言ってやった。

結局書き直して貰えないものね。
書き直してもらうとしたら裁判所の許可がいるのかな?
役所の間違いなのにね。

      まだ当時は中国にアウトソーシングに出す前だから
      間違えたのは日本人でしょうね。


http://www.cbssports.com/soccer/world-cup/news/look-japan-colombia-senegal-fans-stick-around-after-world-cup-matches-to-clean-up-stadium-trash/?src=rss

LOOK: Japan, Colombia, Senegal fans stick around after World Cup matches to clean up stadium trash

「ねぇねぇ、日本とコロンビアとセネガルのサポーター達が試合後にスタジアムのごみを拾って回ってたよ」
(フツーだったら、自分のチームが勝ったらスグに大騒ぎしたいし、負けたらサッサとスタジアムから出ていきたいもんなのにさ)

って、感じかな?
 
 

規 頼

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2018年 6月25日(月)06時48分11秒
  範頼が地味ながら西国を進行した事も平家には効いたでしょう。
バカを装おったとは思いませんが、目だたないですね、
装おったなら「範頼がおります!」なんて政子に言わないでしょうから。
 

布哇の住人さん

 投稿者:太田 守人  投稿日:2018年 6月25日(月)06時06分48秒
  ワールドカップだけでなく,試合後の日本人のゴミ拾い。世界でも有名なようです。それで,2戦後もゴミ拾いしたそうです。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180625-01655514-gekisaka-socc
 

輔住(トータス砲) さん

 投稿者:太田 守人  投稿日:2018年 6月25日(月)05時43分46秒
  司馬バカなんか,範頼は,何のために存在したのか分からないと言う書き方していますけど,範頼がいなければ,鵯越の奇襲も壇ノ浦の海戦もなかったと思います。平家は,一の谷の時,行方不明になった義経を探したようです。それで,福知山方面に向かったと言う事までは突き止めたようです。ただ,兵数が少ないのと,福知山方面に向かったのなら,須磨方面に来ないだろうと判断したようです。義経のルートは不明のようですけど,福知山方面に向かったとしたら,吉田,三田経由で裏六甲連山に入り,須磨か新神戸駅周辺に出たと思われます。これも,範頼が生田神社方面にいたからだと思います。それに,範頼は,頼朝の死の直前まで,生きていますので,猜疑心の塊の頼朝に疑いをさしはさませないと言う事は,範頼にそれなりの能力があったと思われます。多分,バカを装ったのだと思いますけど。(笑)  

義経

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2018年 6月25日(月)04時34分14秒
  〉範頼がいたから

戦は個人や一部隊だけでないのは当たり前ですよね。
この理論なら範頼の手柄を義経がいたからとも言えます。

〉奇襲

奇襲でない宇治川の戦いや壇之浦の戦いでも活躍してますからね。
奇襲だけみたいに言わなくてもいいでしょう。

私も現場指揮官として以外では義経の評価は低いですけどね。

後、誰もこの件で頼朝を低評価をしてないと思います。
 

いろいろ

 投稿者:太田 守人  投稿日:2018年 6月25日(月)03時36分38秒
  色々書きましたけど,義経は名将だと思いますけど,一の谷と壇ノ浦の場合,範頼とリンクしていたので,勝てたのだと思います。私は,反対に範頼を,もう少し評価しても良いと思います。  

例えば

 投稿者:太田 守人  投稿日:2018年 6月25日(月)01時29分27秒
  一の谷の合戦後,義経が範頼軍がいなければ,わが軍が今回と同じ動きで,平家に勝てたのか?と言う,合戦の総括のようなことをやったのか?と言う事です。これをやったとしたら,義経は名将です。私は,義経の奇襲の成功に一番有効だったのが,範頼軍だったと思います。まあ,義経も名将の部類でしょうから,範頼軍いなければ,違った戦法で勝ったかもしれませんけど。  

下の修正です

 投稿者:太田 守人  投稿日:2018年 6月25日(月)00時38分9秒
  日本軍が,ガダルカナルを維持できる船腹,航空機を保有していた場合,どうすると言う計画ですけど,日本の工業生産量で無理だと分かっていても,次の作戦計画案で対策を立てておきます。ただ,これはワシントンで保管しておく。読み違えとか情報の不備もありますからね。それで,日本軍が,実際に大量の船腹,航空機持っていると言う事が分かった時点で,ワシントンで保管してある,作戦計画案に差し替えるわけです。ですから,アメリカ軍の場合,数百案の作戦計画案を作って,敵の能力に合わせるわけです。これに対して,日本軍は,一種類しかないので,何かで齟齬きたすと完全にお手上げ。(笑)沖縄の地上戦がその典型で,日本軍は米軍は,沖縄北部に上陸してくると思っていたので,北部に戦力を集中してあった。ところが,アメリカ軍は,沖縄中部の上陸した。中部には,日本軍陣地すら作ってなかった。それで,完全な無血上陸です。アメリカ軍は,上陸当日の死傷者ゼロ。ところが,日本軍は,中部上陸のプラン作ってないから,一週間位,東京の陸軍省も沖縄の部隊も「馬鹿な。アメリカ軍は戦を知らん。」と言って,右往左往するばかり。アメリカ軍戦しらんか知りませんけど,アメリカ軍の場合,このようなプランも配ってあるので,戦闘部隊に「〇号案から×号案に変更。×号案で,前線を再構築。」と無線打てば終わり。  

照井高之さん

 投稿者:太田 守人  投稿日:2018年 6月25日(月)00時07分46秒
  義経を全否定していません。サイコパスは,一つの能力だけ大変高く,後の能力はゼロに近い人を言います。モーツアルトの場合は音楽。義経の場合は,軍事でしょう。でも,義経の基本方針は奇襲です。奇襲は,相手が油断しているから成立するのであって,相手が少しでも警戒したら,奇襲は成功しません。信長は,奇襲のこの怖さが分かっていたのでしょう。だから,十分に準備をして戦争を始めた。多分,信長は桶狭間で,奇襲の危うさを学んだのだと思います。それと,屋島はそうでないと思いますけど,一の谷も壇ノ浦も,一の谷の場合,範頼の大軍が生田神宮の方面から攻めてきたので,平家はそちらに気を取られていた。範頼軍は,2万くらいでしょうか?それに対して,義経軍は3,000位でしょう。平家にしたら,3,000が消えても,2万の動向が分かっていれば,3,000を探そうとしないでしょう。まあ,義経が丹波の山奥から,裏六甲経由私は,鵯越でなく鉄拐山だと思いますけど,崖を降りて一の谷に奇襲したのは,義経の軍事的能力の高さだと思いますけど,もし,範頼軍がいなかったら,一の谷の奇襲は成功したか疑問です。壇ノ浦もそうで,山口県側九州側の陸地に,範頼軍がいたからでしょう。それで,平家は船に乗るより仕方がなかった。もし,範頼軍が陸地にいなかったとしたら,平家,九州か山口県か分かりませんけど,陸地に本拠を置いたら,壇ノ浦の様相は全く変わっていたと思います。
因みに,孫子の下の下の話は,不適切だったと思いますので,撤回します。ただ,信長は桶狭間で,奇襲戦の累卵の危うさを学んだ。だから,桶狭間が信長の初陣か知りませんけど,戦闘経験では,信長の初期の戦闘でしょう。戦争の場合,どこの軍隊でも,勝っても負けても研究会と言う物を開きます。それで,戦訓を研究して次に生かすわけです。日本軍のバカなところは,負けたら余り研究会を開かなかった。カッコ悪いと言う理由のようですけど。アメリカ軍の場合,勝っても必ずやった。しかも,自分が不利な条件を追加してまでやりました。例えば,一の谷の場合,範頼軍がいなかったら,義経は今回の状態で勝てたか?と言う研究までアメリカはやりました。それで,負けたと言う事になると,じゃあ次はどうする?と言う事までやる。日本軍が,太平洋戦争で負けだすのは,ガダルカナルと言う島の争奪戦からです。1年半,ガダルカナルに足を取られた,それで日本の戦力は消耗しつくしたわけです。アメリカ軍は,ガダルカナルを占領した後,日本軍が,ガダルカナルに十分な物資を補給できる船腹,航空機を持っていた場合,ガダルカナルを確保するにはどうするか?と言う研究までやりました。ただ,日本の工業生産量では,そのような船腹,航空機を1年半と言う短期間で持つのは夢のまた夢と言う結論になり,これは否定されましたけど,だから,日本軍の作戦は,穴だらけに対して,アメリカ軍の作戦に,段々漏れが無くなっていくのです。アメリカ軍は,ドイツ軍にも学びました。第1次大戦まで,潜水艦は未だ幼児期ですから,アメリカ海軍に潜水艦の大増産計画ありませんでした。ところが,第2次大戦が始まると,ドイツの潜水艦が,イギリスの商船をボカスカ沈めて,イギリスが餓死寸前になりました。まあ,餓死する前にアメリカが参戦したので,イギリス国民餓死しませんでしたけど。それで,アメリカ海軍は,潜水艦の大増産を計画します。日本の海上交通路破壊のためです。私,卒論で調べたのですけど,太平洋戦争で,日本の商船隊が壊滅したのは,昭和19年6月から12月までです。これで,アメリカ潜水艦により,9割の日本商船が沈められた。こんな短期間に,商船隊全滅したの日本だけです。わずか6か月です。実際,昭和20年1月になると,海に浮いている日本の艦船殆どいなくなり,アメリカ潜水艦の主任務は,海上に不時着したB29の乗員の救助になります。昭和20年になると,丸木舟のような沿岸漁船も,アメリカ潜水艦の餌食になり,漁獲高が激減します。燃料不足より,沿岸数キロで操業していると,アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受ける。怖いから誰も海に出なくなるわけで。信長が,どこまで桶狭間の事後研究やったか知りませんけど,事後研究やったので,以後,奇襲戦法を使わなかったのだと思います。義経が,事後研究やったかどうかは知りませんが,やってないでしょう。やったら,奇襲の危うさわかり,奇襲は詭道の戦法と思うと思います。戦争と言うのは,戦い済んでからの事後研究が大切になります。しかも,わざと不利な条件を加味する。まあ,ガダルカナルのように,日本にそれだけの工業力ないと言う結論なら,無視しても構いませんけど,わずかでも可能性があるなら,それも加味した,次の作戦計画を立てる。こうすることにより,作戦の穴がだんだん少なく,小さくなっていきます。多分,信長は,それをしたのだと思いますよ。別に,私はノブヲタでないですよ。信長と義経の大きな違いだと思います。要は,戦争後の事後研究です。義経の場合,第六感で作戦立てたのでしょう。信長の場合,それに理論を加えたのだと思います。まあ,義経の場合,第六感で負けなしですから,軍事的センスは,信長の方が低いかもしれませんがね。(笑)戦争に勝って,条件厳しくして,事後研究をやると言う方が,私はえらいと思います。
 

義経

 投稿者:照井高之  投稿日:2018年 6月24日(日)22時46分22秒
  太田さんの義経評価は、ひとつの欠点だけで全否定ですから納得いかないんですわ。
まるでキム某の信長全肯定と似ているように思いました。
屋島の前、失敗したらどうなるんだ、というIFを語られても、現実に成功しています。
では頼朝の石橋山はどうですか。普通に考えれば戦死していても不思議ではありません。
家康の三方ヶ原だって普通に考えたら出て行かないでしょう。

秀衡が義経を買ったのが不思議と言いますが、
逆に言うと秀衡は義経を買ったのはそれだけの能力があったから、とも言えます。
泰衡が義経を排除したのは秀衡より先見の明があったからではないはずで。
義経が奥州軍を率いていても頼朝にはかなうはずがありませんが、
奥州防衛に置いて遊撃軍を任せるなどのことは平泉側にもできたのです。
義経がいなくなった以上、平泉には歴戦の猛将がいなくなり鎌倉も怖いものなしと見たわけで。

頼朝に負けたからバカというなら、勝ち馬に乗るのは利口で賢いかもしれませんが、
範頼だって頼朝にあとで殺されたんだからバカ呼ばわりされてもしかたないことに。
源平から鎌倉時代の勝ち組は北条と足利氏かいないということになりますね。

何度も言いますが、政治力で義経以上の人間を清盛頼朝義時以外に誰も挙げてない。
範頼も太田さんの論法なら頼朝に殺されたんだから義経とどっこいのバカです。
この時点で義経はただの脳筋バカではなかったことが証明されますけど、いかがでしょう。

http://ameblo.jp/lucky-penguins904/

 

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