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減らした男と見て当然

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2009年11月29日(日)17時19分59秒
  関ヶ原前は待遇はよかったのだから、広家が毛利を出る理由もありません。

広家が忠臣なんて、思う人は毛利家中には、ほとんどいませんし、それが普通。
躍進のチャンスを潰したのだから。いくらバカの輝元だって西軍の大将になることのリスクや意味は承知のはず。
会社を潰すデカイミスを独断でして、
でも相手にかけあって1/3の規模だけ残してもらいました。
なんていう奴を褒める会社があったら見たいですよ。

あと、このバカは毛利の120万石残ると思ってやったのだから、救いようがないですよ。
逆に本人が38万石の大名になりたくてやったのら、ここまで広家をボロクソには言いません。
 

輔住(トータス砲) さん

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月29日(日)14時01分56秒
編集済
  >広家が関ヶ原の後、毛利家を出て、どこにいくのですか?

後ではありませんよ。退転するのだったら,先か合戦の最中です。後でも,家康は広家に領土を呉れようとしましたので,そこで貰うのが一般的でしょう。毛利のことなど考えないのが普通でしょう。では,反対にお聞きしますが,広家の助命嘆願がなく,毛利が負けた場合,家康は毛利を無傷のまま置いたとお思いですか?私には思えませんけど。ですから,広家は,毛利家の大忠臣ですよ。ある意味,毛利が36万石でも生き残ったのは,広家のお陰ですよ。
合戦の真っ最中に家康のところに転がりこんでも宜しい。


>外交が苦手な幕府でもダメでしょう。

中国と朝鮮の外交に関する限り,明治政府のやった方がバカですよ。徳川幕府の基本方針の中国朝鮮に積極的に関わらないと言う方が,余程優秀だと思いますけどね。征韓論なんか,私に言わせれば,やくざのシマ争いと変わりませんよ。もっとも,私は明治政府は,天皇以下首脳部はチンピラ集団だったと思ってますけど。今でいえば,山口組が政府を作ったのが,明治政府だと思ってます。ですから,下地がないので,奈良時代の大宮人のように,唐の文明を取捨選択出来ずに,欧米の価値観を全部取り入れた。日本史上でも,明治政府の上を行くバカ政府は,南北朝の南朝位だと思います。世界でも,これだけのバカ政府は珍しいのでは?
ましてや,太平洋戦争の最後通牒の遅れ,これでも明治政府から連綿と続く,大日本帝国政府の外交が優秀だったのでしょうか?
少なくとも,駐米大使の野村海軍大将が言ったように,手書きの翻訳を持っていけば良かったのですよ。
徳川幕府が,外交が下手で,明治政府がうまかったと思えませんけど。太平洋戦争が終わるまでは,明治王朝ですよ。

それに,上官の命令は朕の命令なんて思ってるのは,共産圏と日本人くらいでね,欧米の軍隊なんか,上官が変な命令をしたら動かなくてもいいし,文句言ってもいい。命令に従う必要がないのです。これが原則です。アメリカ海軍の刑法に,艦長が部下の士官が精神病だと判断した場合,無条件で艦長の指揮権を部下の指揮権を剥奪しても良い。と言う条項まであります。日本軍には無かったようですけど。
東京裁判のB,C級戦犯は,連合国側に上官の命令は朕の命令と思え。ということが理解されなかったから起きたのです。部下は,捕虜を虐殺せよと言う命令には,連合国側では従う必要がない。だから,捕虜を殺した人物が,自分で判断して捕虜を殺したと思われたからです。
これは,葉隠から来ますがね,この思想の出来たのは,江戸時代も終わりの方ですよ。関ヶ原のころには,未だ葉隠なんて思想はありません。退転された主君がバカで,家来は別に非難もされませんでした。
 

太田さん

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2009年11月29日(日)10時48分12秒
  広家が関ヶ原の後、毛利家を出て、どこにいくのですか?
越権行為で主家の領土を1/3にした輩なんて誰も雇いませんよ。あと、繰り返しますが輝元はバカだと思っていますよ。
ただ、それ以上のバカが家中にいただけです。

あと、足利尊氏がいなくても数十年の差で鎌倉幕府は滅びた、
戦国時代、豊臣秀吉や徳川家康がいなくてもいつかは誰かが天下は取った。
徳川政権だって同じです。いつかは体制が変わります。
人同様に体制にも寿命があります。
徳川政権が、今も残ってる可能性なんてありませんよ。
明治政府はあまり評価してませんが、外交が苦手な幕府でもダメでしょう。
 

補足

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月29日(日)08時35分13秒
  >それとも今でも江戸幕府なのですか?

それはわかりません。しかし,マシュ・ペリーにより日本が開国されたと教科書では教えてますが,このようなことを言ってるのは日本だけで,欧米特にアメリカは,マシュ・ペリーにより日本が開国したのではない。マシュ・ペリーの来航がなくとも,日本は自分で政治体制を変更して,自分から開国し,工業国となり,大海軍国になるだろう。と当時のアメリカ政府は予想しました。つまり,アメリカはマシュ・ペリーの艦隊派遣は,徒労と言わなくても,日本に大きな影響を与えなかったことに大きなショックを受け,これが日本脅威論のもとになっていきます。
黒船がなくても,日本は開国し,工業国になり,大海軍国になっていたでしょう。これは,他のヨーロパ人でも幕末に日本に来た外国人は,異口同音に書いてます。
黒船がなかった場合,私は可能性としては,徳川幕府の継続と言うのは低いと思いますが,徳川幕府が継続した可能性も0ではないと思います。ただ,開国は数十年くらい遅れたかもしれませんが。
 

輔住(トータス砲) さん

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月29日(日)07時55分33秒
  水掛け論になりますけど,私は主人を見限る権利のあった当時の武士の行動としては,反対に広家は偉いと思いますよ。普通なら,やってられるかい。と言って毛利をおん出たでしょうが,毛利に残って毛利存続のために動いた。広家がその気になったら,毛利宗家をぶっ潰して,自分が毛利宗家のとってかわられたのですよ。私は,広家は毛利家の大忠臣で,広家を批判した,輝元こそアホの極致ですよ。  

補足

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2009年11月29日(日)03時35分24秒
  後、東軍が勝っても家名存続なら本家と手を切るべきです。
越権行為は主を軽くみている証拠。広家は不忠臣の典型です。
 

260年間は長いです

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2009年11月28日(土)21時21分21秒
  太田さん違うなら、毛利である必要はありません。
250〜300年間あれば薩長でなく、他の大名になっただけです。
それとも今でも江戸幕府なのですか?
 

レス

 投稿者:GUILTY  投稿日:2009年11月28日(土)21時06分48秒
  >大関の基準

↓のような見事(?)な例もありますよ。

今年の魁皇
 初 ☆ 8− 7 ○○○●○●○●○○●○●●●
 春 ☆ 8− 7 ●○○○○○○●○●○●●●●
 夏 ☆ 8− 7 ○○●○○○○○●○●●●●●
 名 ☆ 8− 7 ●○○●●○○○●●○●○○●
 秋 ☆ 8− 7 ○●○●○●○○○○●●●●○
 九   7− 7 ○●○●●○○○○○●●●●

クンロク大関ならぬ、ハチナナ大関。
はてさて、明日の取組はいかに?
 

NHKが歴史学者に叱られたようです

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月28日(土)18時48分45秒
  坂の上の雲で,歴史学者からNHKが叱られたようです。司馬の最大のミスは,ロシアが日本侵略の意思があった。それで,日本は自衛のために日露戦争を起こした。と言うところですけど,当時のロシアは,日本侵略より満州経営,インド進出が目的でした。日露戦争がなければ,インドを巡り英露戦争が勃発しただろうと言うのは,当時もですが,今でも歴史学者では一致した見方です。アメリカも,満州の権益が欲しいから,日本の後押しをしました。
司馬のバカは,坂の上の雲で小村寿太郎が「秋山さん。日本は,ここは一番イロコイインディアンになって,米英のために火中のクリを拾う決心が要ります。」と書いておいて,日露戦争を侵略戦争でないと言っていることです。火中の栗が満州です。
最近,「司馬さん坂の上の雲をありがとう。でも,なぜあれだけ間違えてるの?」と言う本を書いた歴史学者いましたけど,日本人は日露戦争は,ロシアの侵略から日本を守った戦争だったと言う考えを捨てるべきだと思います。
流石は,司馬バカヲタのNHKです。だからイヌアッチケーなんですけど。
 

輔住(トータス砲) さん

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月28日(土)18時35分39秒
  >勘弁してください。広家が260年後を予測していたとでも言うのですか?

違います。あそこで,毛利が改易になったら,毛利は明治維新を推進はできなかったという意味です。結果論と言われるかもしれませんが,毛利は広家がいなければ,あの時点で改易は間違いないでしょう。

>西軍の大将の部下として広家の行動はトンデモないです。
輝元や秀元をないがしろにした越権行為。

その越権行為で,毛利が生き残れたのも事実でしょう。当時の侍にとって,お家存続は一番重要なことでしょう。バカ大将と一緒に玉砕するなんて,後年の日本軍と同じですよ。
それに,その当時は家来から主君に三行半突き付けることも認められていて。しかし,広家は,その権利を行使せず,主家のために尽くした。ではお聞きしますがね,毛利が南宮山を掛け下ったら,100パーセントと行かなくても,それに近い確率で家康が負けたでしょうか?もし,家康が負けたら豊臣政権は安定長期政権になったでしょうか?私は,そのように思いません。家康が死んでも,秀忠がいます。徳川の旗本は,無傷ですよ。家康が死んでも,豊臣は関八州には手を出せないでしょう。それ以上に,千軍万場の家康ですから,打ち取るのは至難の業だと思います。家康が,あのような布陣をしたのは,それなりの自信があったからでしょう。
天下分け目の合戦に置いて,敵味方に一族が分かれるのは,あの当時の常識ですよ。どうしても,西軍を勝たせたいなら,輝元自身が出てくるべきでしょう。それをしなかった輝元の代わりを広家に押し付けるのはどうかと思いますよ。
 

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