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>広家が関ヶ原の後、毛利家を出て、どこにいくのですか?
後ではありませんよ。退転するのだったら,先か合戦の最中です。後でも,家康は広家に領土を呉れようとしましたので,そこで貰うのが一般的でしょう。毛利のことなど考えないのが普通でしょう。では,反対にお聞きしますが,広家の助命嘆願がなく,毛利が負けた場合,家康は毛利を無傷のまま置いたとお思いですか?私には思えませんけど。ですから,広家は,毛利家の大忠臣ですよ。ある意味,毛利が36万石でも生き残ったのは,広家のお陰ですよ。
合戦の真っ最中に家康のところに転がりこんでも宜しい。
>外交が苦手な幕府でもダメでしょう。
中国と朝鮮の外交に関する限り,明治政府のやった方がバカですよ。徳川幕府の基本方針の中国朝鮮に積極的に関わらないと言う方が,余程優秀だと思いますけどね。征韓論なんか,私に言わせれば,やくざのシマ争いと変わりませんよ。もっとも,私は明治政府は,天皇以下首脳部はチンピラ集団だったと思ってますけど。今でいえば,山口組が政府を作ったのが,明治政府だと思ってます。ですから,下地がないので,奈良時代の大宮人のように,唐の文明を取捨選択出来ずに,欧米の価値観を全部取り入れた。日本史上でも,明治政府の上を行くバカ政府は,南北朝の南朝位だと思います。世界でも,これだけのバカ政府は珍しいのでは?
ましてや,太平洋戦争の最後通牒の遅れ,これでも明治政府から連綿と続く,大日本帝国政府の外交が優秀だったのでしょうか?
少なくとも,駐米大使の野村海軍大将が言ったように,手書きの翻訳を持っていけば良かったのですよ。
徳川幕府が,外交が下手で,明治政府がうまかったと思えませんけど。太平洋戦争が終わるまでは,明治王朝ですよ。
それに,上官の命令は朕の命令なんて思ってるのは,共産圏と日本人くらいでね,欧米の軍隊なんか,上官が変な命令をしたら動かなくてもいいし,文句言ってもいい。命令に従う必要がないのです。これが原則です。アメリカ海軍の刑法に,艦長が部下の士官が精神病だと判断した場合,無条件で艦長の指揮権を部下の指揮権を剥奪しても良い。と言う条項まであります。日本軍には無かったようですけど。
東京裁判のB,C級戦犯は,連合国側に上官の命令は朕の命令と思え。ということが理解されなかったから起きたのです。部下は,捕虜を虐殺せよと言う命令には,連合国側では従う必要がない。だから,捕虜を殺した人物が,自分で判断して捕虜を殺したと思われたからです。
これは,葉隠から来ますがね,この思想の出来たのは,江戸時代も終わりの方ですよ。関ヶ原のころには,未だ葉隠なんて思想はありません。退転された主君がバカで,家来は別に非難もされませんでした。
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