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輔住(トータス砲) さん

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月30日(月)12時39分12秒
  >秀忠が悪鬼羅刹とは、秀忠にそんな残酷なこともしてないし。
息子の家光みたいな浪費癖もない。
基礎を固めた政治家として一流だと思います。

私は家康だけで,次が秀忠でなかったら,徳川幕府は260年も続かなかっただろうと思ってます。信康が無事で2代将軍になったら,徳川政権は短命だったかもしれません。
この辺りは,10代の崇神天皇に対する11代垂仁天皇のようなものだと思います。崇神天皇は,日本書紀によると祟られる祟られる。オオクニヌシとかニギハヤヒは分かりますがね,アマテラスまでに祟られている。アマテラスは皇祖ですからね,崇神に祟るはずがないのに祟っている。ところが,崇神に祟った神様が,11代垂仁になったら,祟るのではなくわがままを言ってる。オオクニヌシなんか,大きな宮殿を作れでしょう。ニギハヤヒは俺を大事にしろでしょう。アマテラスなんか,伊勢に行ったけど,一人寝が寂しいし,飯もまずいから,トヨウケと言う女神様を丹波から連れて来いですからね。
私は,崇神の武断政治を改めたのが,垂仁だったと思います。垂仁は,崇神に滅ぼされた豪族の顔を立つようにしたのだと思います。垂仁の業績は,四道将軍の派遣ぐらいしかありませんので,大変地味ですけど,崇神王朝が続いたのは,息子の垂仁のお陰だと思ってます。
秀忠も同じでしょう。垂仁は,皇太子がオシでしたが,白鳥を見て声を出した。感激した垂仁は,鳥飼部に領土を与えたのが鳥取で,鳥取は鳥飼部から来た地名だそうです。
 

レス

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2009年11月30日(月)08時32分49秒
  Toshyさん、太田さん

>「西軍が勝てば戦国に逆戻りする、だから安泰を望んで家康に勝たせた」
>などという、結果論どころではなく後出しジャンケン以下の説を唱えていますね。

>そのくせ,司馬のバカは家康をタヌキ呼ばわりですからな。
>特に,秀忠ときたら悪鬼羅刹よばわりですからな。
>やっぱ,ダブルスタンダードと言うか二枚舌と言うか。

結局、司馬はその場しのぎで適当なこといってるにすぎないですから。
関ヶ原の勝敗だけで安泰になるのなら、家康や秀忠も苦労しませんよ。

秀忠が悪鬼羅刹とは、秀忠にそんな残酷なこともしてないし。
息子の家光みたいな浪費癖もない。
基礎を固めた政治家として一流だと思います。
ここで徳川政権に強力になったと思います。
徳川には嫌いな人物が多いですけど、秀忠は嫌いじゃないです。
秀康冷遇で家康批判はしましたが、秀忠が悪いわけではないし。
 

輔住(トータス砲) さん

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月29日(日)20時35分36秒
  いえいえ。
もし,お松のクソババアが勝手に江戸へ行かなければ,関ヶ原が1600年に無かったと思いますよ。最後はあったでしょうが,数年か数十年か先になったことでしょう。そうなったら,家康は曹操のように,死後,息子の秀忠から将軍の称号を贈られたかもしれません。
もっとも,勘ぐればお松のクソババアと北の政所は大変仲が良かったので,北の政所の入知恵だったのかもしれません。お松のクソババアが,そこまで頭のいい奴だとは思えませんし。
 

説明ありがとうございました

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2009年11月29日(日)20時25分6秒
  太田さん、説明ありがとうございました。
同意できない部分もありますが、
秀吉への恩義では確かに前田と毛利じゃ比較にならないですね。
 

輔住(トータス砲) さん

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月29日(日)19時39分2秒
編集済
  ひとつは,前田は秀吉の引きで100万石になったと思います。これに対し,毛利は確かに秀吉から120万石を貰いましたが,その原資というのかな?は元就でしょう。ここがまず前田と違う。前田は,秀吉がお友達でなかったら,利家何てバカは3万石程度が良いところだったと思います。それで,前田は豊臣を裏切れないと思います。
しかも,関ヶ原の時に家康は,前田に難癖をつけますね。ところが,お松のバカババアが,さっさと江戸に行き,家康殿人質になってしまう。以後,加賀藩ではお松のクソババアが足かせになって,西軍に付こうと言う意見が急速にしぼむ。利長は最初家康に対し,「弓馬では父に劣れど,そのような難癖をお付け遊ばせれば,弓矢でお相手いたす。」と言うような,覚悟もあったようなのですよ。もっとも,七尾にいた弟の利政は,豊臣家には重恩があると言って,西軍について戦後改易されるのですけど。なので,利政の方が好きです。
しかも,当時80万石が,大聖寺5万石の山口に引っかかって,全く動けなくなる。ここもバカですな。
もっとも,この山口家は,関ヶ原の後,毛利に行って,明治維新後東京に出て,ミッドウェー海戦の時,この山口家の子孫の第2航空戦隊司令官の山口多門少将は,空母飛龍1隻で奮戦して,アメリカ空母ヨークタウンを沈めるきっかけを作るのですけど,山口少将がいなければ,ミッドウェー海戦は,多分アメリカのワンサイドゲームで終わったでしょうから,闘志という点では,先祖伝来のものだったのかもしれません。
もし,前田が西軍に付けば,五大老の内,家康以外は西軍ですから,これは家康の大きな抑止力になったと思います。それで,関ヶ原があっても,数年か数十年か知りませんが,後になったと思います。
それと,前田のバカは,幕末に長州と,前田は長州と戦争しない代わりに,長州が蛤御門の変で負けた場合,天皇を捧持して金沢に引き上げるので,長州はこれを黙認する。と言う密約までしたのに,これを完璧に反故にしました。大体,天皇が金沢にいたら,幕府といえども簡単に手が出せませんよ。玉体に傷をつけて御覧なさい。幕府は非難されますよ。つまり,幕末に天皇を金沢につれてくれば,加賀藩は相当有利になったでしょう。これが,前田嫌いの最大の理由ですが。
広家に関しては,私は輝元のミスで,本来は改易になるはずの毛利を救ったのは,広家だと思うからです。家康は,広家に36万石でしたかね?を与えようとしましたが,辞退しました。普通なら,貰いますって。もっとも,私が山口県民だったら,広家のボケカスと言うかもしれませんが。(笑)
 

太田さん

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2009年11月29日(日)19時11分0秒
  確かに平行線でしょうね。
あと、輝元が関ヶ原まで出てくるべきだったのは同意します。

ただ、どうしても分からないことがあります。
私には家康に媚びて家名を長らえたという意味で、
利長や松と広家は似てると思うのですが、
どこで評価が分かれるのか教えていただけたら幸いです。
 

Toshy(雪狼)さん

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月29日(日)18時57分36秒
編集済
  >「西軍が勝てば戦国に逆戻りする、だから安泰を望んで家康に勝たせた」

すばらしい,流石に司馬バカですな。
そのくせ,司馬のバカは家康をタヌキ呼ばわりですからな。特に,秀忠ときたら悪鬼羅刹よばわりですからな。やっぱ,ダブルスタンダードと言うか二枚舌と言うか。このようなバカをありがたがってる,イヌアッチケーの気が知れませんな。

>毛利輝元自身が大坂から動かなかったことにも問題があるわけです。
もし輝元が参戦していたら、いくら吉川でも西軍に荷担するしかないし、
小早川とて松尾山を占拠することは出来なかったと思いますよ。

最大の敗因はこれでしょうね。輝元が関ヶ原まで出てくるべきでした。そうしたら,西軍が勝っていたかもしれません。布陣では,西軍が絶対有利ですから。なので,私は石田三成は,軍事的センスの無い武将だったと思えません。あの布陣をみる限り,慎重な家康がなにを考えていたかわかりません。全部がまともに動いたら,家康が蹴散らされますって。案外,家康には内応の話が相当あったのかもしれませんね。三成は,慎重な家康が自分から袋のねずみになったことを,もう少し警戒すべきだったのかもしれません。司馬のバカは,三成の軍事センスの無さを言いながら,坂の上の雲で,日本陸軍の教師だった,メッケルドイツ陸軍少佐が,西軍の布陣を教科書的だとほめたことも書いてますな。結局,このバカ何を言いたかったのか?
このあたり,空母部隊の後方300kmでノコノコ戦艦部隊を率いてついてきたミッドウェー海戦の山本五十六と同じです。東京〜大阪が約350kmですから,東京で戦争が起こっていて,大阪から駆け付けるバカがどこにいるかと思いますよ。
しかも,結果,燃料を無駄使いして,ガダルカナルに米軍が上陸してきたとき,燃料不足で海上兵力ではアメリカの倍以上ありながら,連合艦隊はガス欠で動けなかったのですから。
もっとも,最大の原因は,ミッドウェーで空母とともに沈んだ,零戦が手作りの工芸品で,補充がままならなかったこともありますが,なんのために,戦艦を空母の300kmも後から動かしたのか?良くわかりません。空母と一緒だったり,空母より先に出ていればそれなりに,戦術的価値はあったのでしょうけど。もっとも,空母は30ノット,戦艦は25ノット平均,一番早い戦艦大和でも27ノットですから,空母の足手まといになり,日本艦隊にはレーダーがないですから,当時は一面の雲が上空にあったので,戦艦が空母と一緒でも,結果は余り変わらなかったと思いますけど,私が山本五十六は愚将だと思うのは,このためですよ。
もし,戦艦部隊が広島県の柱島泊地で指揮を取っていれば,ガダルカナルに米軍が上陸してきたとき,燃料不足はなかったでしょうから,もっと積極的な作戦が出来たと思います。最後は,日本が負けたでしょうがね。
 

輔住(トータス砲) さん

 投稿者:太田守人  投稿日:2009年11月29日(日)18時42分34秒
編集済
  広家に関して,これ以上議論しても平行線のままでしょうね。(苦笑)
でも,面白かったです。お付き合いくださって,ありがとうございました。
 

司馬の野郎は

 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:2009年11月29日(日)18時16分20秒
  広家裏切りの真相を、
「西軍が勝てば戦国に逆戻りする、だから安泰を望んで家康に勝たせた」
などという、結果論どころではなく後出しジャンケン以下の説を唱えていますね。
もちろん小説だから史実ではない、と言われればそれまでの話ですけど。

西軍敗戦の理由としては小早川の裏切りと吉川の内応が最大でしょうが、
毛利輝元自身が大坂から動かなかったことにも問題があるわけです。
もし輝元が参戦していたら、いくら吉川でも西軍に荷担するしかないし、
小早川とて松尾山を占拠することは出来なかったと思いますよ。

史実と違う形で吉川広家を擁護するとしたら、
清洲から西軍のプランは総崩れになっていましたから、
「こりゃだめだ、最悪の形でも毛利を残すしかあるまい」
と考えての東軍内応だった、と。小説の範疇でしかありませんがね。

ただしあれだけ三成の計画が破綻を繰り返したにもかかわらず、
西軍は最後の最後まで東軍とほぼ互角に戦っていたことを考えると、
合戦中に吉川と毛利が雪崩をうって家康に襲い掛かれば、
小早川と無関係に東軍は総崩れになっていたことでしょう。

わしも、吉川広家がの行動が正しいとは思いません。
毛利をどうしても残すことを考えるのであれば、
最初から負けたことを想定するより積極的に勝つことを考えるべきです。
その意味では輔住さんに同意するものです。

現代の企業に置き換えるとこんな具合では。
社長「他者に対抗するためにプランAを実行に移すように」

専務「難しいがどうすれば成功に導けるだろうか」
常務「プランA失敗した後に他社に取り入るためのプランを」
 

今年の魁皇

 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:2009年11月29日(日)17時58分27秒
  予定通りというか……8勝7敗で年間通す凄い奴(わら

大関は昇進基準ばかりインフレしていますけど、
現在の大関でさえ実現困難な3場所33勝をノルマにするのは、
本末転倒というもの。
その一方で千代大海のような論外の成績で生き残る奴もいる。
昇進基準を厳しくするより陥落の基準を厳しくしてほしい。

次の大関候補はバルトと栃ノ心あたり。
代わって魁皇と琴光喜が姿を消すことになる。

残るはモンゴルと白人ばかりなり…
 

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