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桶狭間は一種の怪我勝ちでしょう。義元が負けるはずがないと油断した。油断したから,ミッドウェー海戦の日本海軍のように,兵力をばらまいた。孫子は,先制と集中が勝利の条件だと言ってますけど,自分で兵力をばらまき,各個撃破されやすい体制にしたと言うことが大きな原因でしょう。
私は,桶狭間は奇襲とは思いませんよ。奇襲と言うのは,太平洋戦争の真珠湾攻撃やトラック島空襲,呉軍港空襲のように,敵は来ないと思っている事が原因でしょう。義元は,信長が出てくると思っていた思います。そうなると,奇襲ではない。強襲になります。
私は,桶狭間を奇襲と言ってる,ノブヲタの理由が分かりません。多分,奇襲にしたのは,日本陸軍戦史部なのでしょうけど。司馬のバカも井沢のバカも,奇襲の条件を知らないのだと思います。
それと,この時の義元の兵力は25,000名くらいだったと思いますけど,外征の場合は,半数は補給部隊と言うのが軍事上の常識です。と言うことは,戦闘部隊は1万〜13,000名程度でしょう。しかも,補給部隊を丸裸で放り出すわけにいきませんから,戦闘部隊の5,000名〜6,000名は護衛部隊になるでしょう。
ここから見てくると,義元が戦闘に使えるのは,精々が5,000名から6,000名程度でしょう。
これに対し,信長は本国近くの戦いですから,補給部隊はなくても宜しい。全兵力をぶつけられますから,実質的には,桶狭間で義元と信長の兵力は互角と見て良いと思います。
例えば,ミッドウェー海戦の時,日本艦隊は空母8隻に対しアメリカ艦隊3隻で,記録上は日本艦隊が倍以上の空母を保有していることになってますが,日本艦隊は空母をアリューシャン攻略に2隻,300km後方の戦艦護衛に2隻ですから,実際は,日本の空母は赤城,加賀,飛龍,蒼龍の4隻,アメリカは空母エンタープライズ,ホーネット,ヨークタウンの3隻が戦ったので,空母の隻数は日本が1隻多いですけど,同数と見て良いでしょう。
同じことが,桶狭間に言えるのでは?松平元康は大高城にいましたし,相当数が散らばってますので。その意味でも,兵力は織田,今川とも伯仲していたのでは?
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