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倶利伽羅の合戦

 投稿者:太田 守人  投稿日:2017年 6月25日(日)21時06分2秒
  私の考えですけど,倶利伽羅の合戦ですが,これ平家は,越中の国府を占領しようとしたいたのではないでしょうか?志雄山ですけど,この麓まっすぐ行ったら,氷見海岸から伏木に出る近道です。しかも,この道の総大将が平知盛ですから,私は,源平の合戦で,一番,戦闘力のあった公達が,平知盛だったと思います。ですので,平維盛は総大将ですけど,維盛軍を囮として,戦闘力のあった,知盛に越中の国府を占領させようとしたように思いますが,いかがでしょうか?
 
 

照井高之さん

 投稿者:太田 守人  投稿日:2017年 6月24日(土)22時46分23秒
編集済
  >彦島に近いところでの戦いになったのだと思っています。

私も同意見です。日本海軍とか海上自衛隊にいた,歴史好きは,皆彦島前面説です。これ,三浦海軍少将と言う,歴史が大好きで,明治時代に日本海軍の航海術を体系づけ,海軍退役後,今の東京海洋大学の前身の東京商船大学(当時は,東京商船高等専門学校と言いました。)の初代校長になった人物です。退役後も,海軍に拝み倒されて,兵学校で航海術を教えていたそうです。海軍では,航海術の神様と言われていたようです。退役した人が,兵学校で教えたと言うのは,三浦少将以外いないそうです。そして,退役後,航海術での貢献で,海軍中将に昇進させると言う話も海軍で出たそうですけど,三浦少将が「そんな変な話があるか。」と言って蹴飛ばしたので,退役後の昇進は無くなったそうですけど。今,日本の海上自衛隊のみならず,商船の航海術の理論も,全部三浦海軍少将が作ったそうです。
この人が,平家物語とか源平盛衰記以外の当時の資料を精査したところ,彦島前面の海域を投じ壇ノ浦と言ったことを見つけました。この辺りの海流は,最速で1.5ノット(時速3km位)ですから,人がゆっくり歩く程度です。ですので,ここなら源平の時代でも海戦が出来ると思います。でも,源平の時代,壇ノ浦と言うところは結構あったようで,那須与一が,平家の扇を射落としたところも,当時壇ノ浦と言ったそうです。
ただ,壇ノ浦が,彦島前面であったなら,義経と梶原景時の逆櫓による喧嘩もなかったはずです。逆櫓なんて付けたら,この程度の潮流では,なお船の行動を阻害します。これも,義経名将にするためのフィクションだと思います。
最近,倶利伽羅の合戦の場所も違うだろと思います。奈良時代の五街道の詳しい位置は,分かっていませんが,北陸道だけは,石川県津幡町から富山県に行く街道だけは,国道8号線のバイパス工事の際,偶然に発見されていますので,位置が分かっていますけど,この当時の北陸道は,倶利伽羅峠を通っていません。倶利伽羅峠が,北国街道になるのは,江戸時代に参勤交代が始まってから,前田の馬鹿殿の参勤交代の休憩所に,倶利伽羅不動寺と言う寺を作ってからです。この倶利伽羅不動寺ですすが,日本三大不動寺と言われていますけど,これも江戸時代からです。江戸時代,前田の馬鹿殿が,多額の寄進をして,北陸街道を倶利伽羅不動寺そばに変えてからです。今の国道8号線は,この江戸時代の北陸街道を広げて作りましたから,その横に,明治時代、陸軍参謀本部戦史部の馬鹿軍人どもが,倶利伽羅の古戦場を作り,それを津幡町が大々的に広めただけですので,源平時代の倶利伽羅の古戦場は,今の倶利伽羅の古戦場でないと思います。金沢市と小矢部市に境に,高根城址と言う城跡があり,現存する城址では,石川県最古の城址で,源平時代より前に作られたと言われていますが,この城は,今でも富山県の砺波市と金沢市を結ぶ,国道365号線が走っていますので,越後から加賀に出る,交通の要衝だったと思われます。
それか,この当時,越中の国府は,氷見の近くの伏木と言うところにありました。それで,奈良時代に作った,北陸道は伏木の国府を目指していたでしょうから,小矢部市に宮島峡と言う峡谷があり,そこを通れば,伏木周辺に出れますので,この峡谷周辺で合戦があった可能性もあります。
倶利伽羅の合戦は,倶利伽羅だけで戦われたのではなく,これ能登の志雄でも,木曽義仲の別動隊と平維盛が合戦をやっています。志雄山(今の能登の最高峰宝達山のことです。)の合戦と言われますが,倶利伽羅の合戦は,越中の海岸地帯から,この志雄山も突破出来たら,伏木に行けますので,要は,越中の国府伏木の争奪戦だったと思います。そうすると,もっと雨晴海岸を含む氷見海岸と言いますけど,海側に源平とも布陣して合戦になったか,もう一つの可能性は,平家は栴檀野と言うところで,一敗地にまみれて,倶利伽羅の合戦を行っています。栴檀野は,どこかわかりませんけど,砺波に,江戸時代まで栴檀野と言われた原っぱがあったようです。それで,砺波市近郊と言われていますが,平家の敗残兵が当時,道のない道を逃げて倶利伽羅峠に布陣したとも思えません。伏木経由で北陸道を逃げたか,今の国道365号線は,奈良時代から,越中と加賀を結ぶ街道があったようですので,ここを逃げたかだと思います。砺波から伏木まで行くには,直線距離で40km以上ありますので,敗残兵が逃げたと思えません。逃げるとしたら,国道365号線沿いだと思います。砺波から,金沢まで,国道365号線で30km位ですから,断然近いわけで。
この栴檀野ですけど,上杉謙信の父親長尾為景が,一揆勢に打ち取られたと言われていますが,栴檀野ですけど,頼成山(らんじょうやま)の近くと言われていますが,この頼成山と言う地名は,今でも残っていて,国道365号線が通っています。富山市と砺波市の堺で,今は砺波市頼成山と言う地名があります。頼成山県立公園と言う公園が今ありますけど。頼成山に増山城址と言う城址がありますけど,これが,為景を討ち取った一揆勢の基地だったと言われています。ということで,私は倶利伽羅の戦いは,今の古戦場のある倶利伽羅峠でなく,国道365号線にある,小矢部と金沢の堺の大内峠と言う峠でないかと思います。それか,宮島峡と言う峡谷のどちらかだと考えています。
 

壇ノ浦

 投稿者:照井高之  投稿日:2017年 6月24日(土)22時27分46秒
  これはたびたび議論なされてきましたけど、俺も太田さんに賛成ですね。
潮流のことが記されるようになるのは『源平盛衰記』からで、
おおもとの『平家物語』でも書いてあるには書いてあるけど「ここは流れが強い」程度のこと。
しかも門司・赤間と書いてありますから関門海峡の狭い部分より西側です。
それでも潮流が速いため合戦にならず、彦島に近いところでの戦いになったのだと思っています。

http://ameblo.jp/lucky-penguins904/

 

カタール断交

 投稿者:太田 守人  投稿日:2017年 6月24日(土)22時21分2秒
  アラブ圏で,カタールと断交する国が増えていますけど,テロ支援国家に指定したと言う事もありますけど,イスラム教のスンニ派の世界では,サウド王家が一番上で,スンニ派の国の王は,サウド王家から「お前を王にする。」と言う文書を貰わないと,王になれないのです。昔の足利義満みたいものです。ですので,スンニ派の世界では,王はサウド王家だけです。アラブ首長国連邦という国がありますけど,この国の首長は王ですけど,サウド王家の承認を貰っていますので,一段低い,首長と言う言葉を使います。その他のスンニ派の王もそうで,実質王ですけど,首長と言う言葉を使います。スンニ派では,メッカを支配している,サウジアラビアのサウド王家だけが,国王です。中国が,中国の王だけを皇帝と言い,朝貢してくる王には,一段下の王と認めたようなものです。ただ,シーア派の本山は,イランですので,サウジアラビアとイランは,大変仲が悪いのです。まあ,一向宗の東本願寺と西本願寺のようなものです。たとえ悪いかもしれませんけど。(笑)
ですので,カタールもサウド王家に認めてもらえないと,アラブで益々孤立すると思います。カタールも地下資源大量にあるので,サウド王家と喧嘩しても困らないそうです。因みに,サウジアラビアですけど,サウド王家のアラビアと言う意味です。
エジプトは,大統領制ですけど,この国,国民の9割がスンニ派ですので,サウド王家と喧嘩が出来ないわけです。
最近,カタールと断交をしている,アラブ諸国が多い理由です。ご参考のために。
 

輔住(トータス砲)さん

 投稿者:太田 守人  投稿日:2017年 6月24日(土)17時00分53秒
  船の舵は,船橋(艦橋)にある舵輪と言われる,ハンドルで操作しますけど,舵は水との抵抗で,船の方向を変えますが,潮流が激しくなると,舵が潮流の流れに負けて,勝手に動き出します。これを止めるのが,操舵手と言う人ですけど,自動車で言ったら,パンクしてハンドルが制御不能になる状態です。それで,操舵手も舵輪を持っていられなくなります。これが,船が汐に吹っ飛ばされると言う状態です。この時は,馬力で潮流に勝つ以外ないわけです。ですので,全速前進と言う命令を出します。そうすると,潮流の抵抗以上の力が,舵輪にかかるので,舵が操作できるようになります。ところが,練習艦「しまゆき」は,4万馬力を出しても,関門海峡の潮流に吹っ飛ばされて,貨物船とぶつかりかけました。いかに関門海峡の潮流が強力かと言う証拠です。
それと,建礼門院ですけど,超お嬢様ですから,侍女に「重いものをもって,海に入るのですよ。そうでないと,源氏の兵に辱められますよ。」と言われていて,平家が負けた。それで,重い物を探したけど,何が重い物か分からない。それで,机上にあった,硯箱を懐に入れて,海の飛び込んだ。どうも,建礼門院ですけど,海中にいましたが,浅いところで気絶していたようです。ですので,源氏の掃海の時に,髪の毛が熊手かなにかに引っかかって助かったようですけど,多分,建礼門院は,泳げなかったと思います。重いものが分からない,建礼門院が,池井里佳子のように,世界的スイマーだったと思えません。(笑)ですので,潮流が殆どないところで,海戦が行われたと,平家物語からも推察できると思います。
 

壇ノ浦

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2017年 6月24日(土)06時46分12秒
  〉壇ノ浦

私は船の事はよく知りませんが、この件は太田さんに賛成します。
平家の船は時子や安徳などの女子供も乗ってますからね。
潮が激しいところは避けるはずです。
万一、時子や安徳の乗ってる船が転覆したなんてなったら平家は合戦どころじゃありません。
物語的には潮の流れ云々の方がいいでしょうけどね。(笑)
 

輔住(トータス砲)さん

 投稿者:太田 守人  投稿日:2017年 6月23日(金)21時33分55秒
編集済
  だから,私が石川県知事をハゲモトの馬鹿とか言う,理由がお分かりいただけたと思います。

義経の話ですけど,平家物語に,壇ノ浦の合戦は,干寿島,万寿島周辺で戦われたと書いてありますけど,この話も完全にフィクションだと思います。この辺り,関門海峡で一番狭い海域で,12ノット(時速約24km)の潮流が流れています。海上自衛隊に,練習艦「しまゆき」と言うのがいます。「しまゆき」ですけど,3,000Tで,機関出力4万馬力,最大速度30ノットですけど,この船が,この海域で,潮流に吹っ飛ばされて,貨物船に衝突しそうになりました。現代船でも,このような事があるので,源平時代の船で,このような海域で海戦出来たか疑問です。それで,壇ノ浦は,源平の合戦で,一番,今の場所でない可能性が高いと思います。源平の時代の船の方が,現代船より進歩していたなら別ですけど。(笑)私は,巌流島も壇ノ浦の戦いの近くにある島ですから,このような島で,決闘するわけがないと思います。決闘する前に,佐々木小次郎も宮本武蔵も,立ち合いの黒田藩だったかな?の侍も,乗った船が全部吹っ飛ばされて,巌流島につけないと思います。船ヲタから見ると,壇ノ浦も巌流島も全部嘘のように思います。
 

照井高之さん

 投稿者:太田 守人  投稿日:2017年 6月23日(金)21時32分15秒
編集済
  7万年前に,太陽系にショルツ星と言う,赤色矮星が,太陽から0.8光年にまで接近したそうです。こうなると,太陽系の端にある,天体に大きな影響があります。ネアンデルタール人の絶滅と時期が近いので,ネアンデルタール人の絶滅は,ショルツ星の影響だと言う説もあります。太陽系が,最近では直径は1光年と言われていますので,ニアミスも良いところです。それで,オールトの雲が,太陽から0.8光年くらいにあるので,一番影響を受け,大量の彗星が太陽目指して飛んだ。最近ですけど,冥王星はこの時,浮遊惑星がショルツ星の影響で,太陽系に乱入してきたと言う説もあります。金星は自転方向が,太陽系の惑星と金星だけが逆ですので,金星も浮遊衛星だったものが,太陽系に捕まったと言う説もあります。金星は,昔になるほど,金星伝説が消えていくそうです。それで,キリストの誕生を予言した,ヴェスレヘムの星は,太陽系に乱入してきた金星だったと言う説を取る,天文学者もいます。ただ,私は金星が浮遊惑星だった可能性は,ゼロではないですけど,金星が乱入してきて,今の位置に落ち着いた場合,太陽系の惑星の軌道は,今のようにきれいな形を描かないと思います。今,太陽系の惑星が,衝突しないのは,木星の引力が大きいようです。最近,木星を太陽系の管制塔と言いますけど,木星が惑星を管制してくれているので,太陽系の9惑星は衝突しないそうですけど,金星が,もし浮遊惑星だったとすると,太陽系の惑星の軌道は,多分,金星の潮汐で,もう少し乱れているように思います。確かに,木星の潮汐は,金星以上でしょうけど,木星の潮汐だけで,太陽系の惑星の軌道が乱れた場合,今の様な綺麗な軌道を描かないと思いますけど,いかがでしょうか?シュルツ星ですけど,今,一角獣座の一隅にあるそうですけど,暗いから肉眼で見えないそうです。距離は20光年だそうです。
生命の大絶滅(半分以上が絶滅したことを言います。)は,今まで5回ありますが,一番最初の大絶滅ですけど,これオルドビス紀と言う,カンブリア紀の次の時代ですけど,この時代に起きています。オルドビス紀の大絶滅と言いますけど,一番強い説が,太陽系の6,000光年以内で,超新星爆発が起き,それのγバーストが,地球に大量に降り注いだと言う説が強いようです。ただ,どのガス惑星が,この時超新星爆発した跡かと言うのは分からないそうです。オルドビス紀の大絶滅は,生命の85%が消え去ったそうです。
オルドビス紀の大量絶滅が,γバースト説が強いのは,オルドビス紀の地層に,絶滅した証拠がないからです。恐竜の絶滅の時は,ユカタン半島の地下に,隕石が衝突した跡がありますし,96%の生命が消えた,ペルム紀と三畳紀の間の絶滅は,シベリアが大噴火を起こして,深海が4,000mの標高まで隆起した証拠が世界中にあります。まあ,オルドビス紀は4億年以上前ですから,証拠が雨等で流された可能性もありますけど,それでも噴火とか極移動等が原因なら,なんだかの証拠が残ると思います。
 

レス

 投稿者:輔住(トータス砲)  投稿日:2017年 6月23日(金)21時10分45秒
  太田さん
それにしても石川県知事もひどいですし、
私が掲示板でやりとりした相手ではA氏やK氏など政府と国民の区別がつかない人は多いですね。

照井さん
弁慶について史実とは違う可能性が高いと思っているなら、ブログにもそれを書いた方がいいでしょう。
混乱の元になる可能性があります。

たとえば司馬が「竜馬が行く」とタイトルが龍馬でないのは
フィクションである事を強調するためという弁護をWIKIで見ました。
でもそれでは読者にはサインとは分からないでしょう。
はっきりと自分の考えを明記した方がいいでしょう。
 

弁慶

 投稿者:照井高之  投稿日:2017年 6月23日(金)19時10分22秒
  いや、自分は「史実の義経」と「義経伝説」とを別にしているので大丈夫です。
弁慶の名前が『吾妻鏡』にあるからと主張する人がいますけど、
『吾妻鏡』そのものの信用がアレですから弁慶を実在だと思っていません。

それどころか先祖の照井高春・高直ですら実在ではないと思ってるくらいで(わら

http://ameblo.jp/lucky-penguins904/

 

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